鎌倉時代には惣村という農民による自治的な村落の結合体ができあがりました

これは鎌倉後期に畿内で形成され次第に拡大していったんですね

ではいったい何が背景となってこのようなことが起きたのでしょうか?

理由は主に三つあります

1戦乱の中での自衛の必要性

2入会地などの共同管理

3領主の不当な支配への抵抗

順を追って説明していきます

1戦乱の中での自衛の必要性

鎌倉時代といったらどんなイメージがあるでしょうか?

武士じゃないでしょうか?

それまでの貴族社会から打って変わって鎌倉幕府による、武士による世の中になるわけです

武士がメインの社会ですね

そうなるとどうしても戦乱が増えるわけですよ

もしもその戦乱に巻き込まれる位置に村があれば悲劇です

自衛の必要がでてくるわけですね

自分のことは自分で守らなければいけない

でも、村一つでは力が足りない

それなら複数の村でグループになって自らの身を守ろうということになるわけです

2入会地などの共同管理

そもそも入会地とは何かというと、薪や自然肥料を手に入れることができる共同利用地です

このような場所は村での生活においては必須です

それを他の村と共同で管理する必要性があったんですね

3領主の不当な支配への抵抗

これも大切です

当時は領主の土地を借りる形で農業なりなんなりををしているわけです

領主が不当なことを言っても弱者の側は泣き寝入りするしかありません

そのようにならないように他の村と結合して領主に対抗する必要性があったんですね

以上のように、結合しての自衛や共同管理の利便性を手に入れるために惣村が成立したわけです